鎖国社会から抜け出そうー外に飛び出すための処方箋

Published by Hiromi Nishiwaki on

今日は日本人が海外に行っても、日本人同士で付き合い、外国人のグループに入っていけない原因について書きたいと思う。そしてその対策についてのヒントを書きたい。英語版は明日、書くことにする。

 

良くある話について書く。

 

日本人が海外に留学して、例えば2年ほどアメリカに行ったとしよう。しかし、残念ながら結局それほど語学が上達せずに帰ってきてしまった。などという話を聞く。理由としては、現地に行ったものの、自信がなくて、結局日本人の友達とばかりつきあっていたので、なんとなく勉強はしていたけれど、それほど語学が上達しなかった。などどいう場合が多い。

 

 

あるいは、昨日もLinkdinの記事で、日本人ビジネスマンが海外に行っても、現地の人間のグループに入り込んでいかないので、ビジネスチャンスをあまりつかめないなどという記事を読んだ。

 

 

あるいはかつての勤務経験で、面白いことがあった。私は国際部門に属していた。

国際的な会社で、海外に支店があるので、本店にいる日本人職員が現地オフィスにに電話を掛ける。そうすると、現地のスタッフが電話に出る。そうすると、本社の日本人は、日本人のXXに変わってくれないか。という。これは、当然英語で話す。しかし、その現地の日本人が電話に出たとたん、ほっとした様子で、会話はもちろん日本語に変わる。

 

別に問題はない。でも、現地のスタッフは見ていると思う。日本人がメンタリティーにおいて、国際化していないことを。本当は不安であることを。そもそも、海外に支店を持っていて、英語がぎこちないとか、不安だというような様子を感じられるようではだめだと思う。私が現地スタッフなら、せめて、英語が上手だろうが下手だろうが堂々としていてほしいと思うだろうし、最初から最後まで、日本語なら、日本語でびしっとやればいいし、英語なら英語でびっしっとやればいいと思う。あるいはダブルスタンダードならダブルスタンダードだとしっかりと標榜するのだ。はっきりと堂々と、当社はダブルスタンダードであると、分からしめる必要があると思う。

 

もう少し、現地スタッフからの視点で状況を考えた方がいいと思うのだ。ある一部の情報は、日本語でしか入手できないとすれば、どう思うだろうか?疎外感を感じないだろうか?

 

私は前職の同僚の女性から、次のように聞かされたことがある。

 

「私は日本語が苦手だと思われているから、初めからミーティングに出なくていいと言われたり、参加要請が来なかったりして、寂しかったことがあるの」

彼女の気持ちになって考えてみるべきなのだ。

私は、個人的には、日本におけるある適度の規模の国際部は、(自分もそうであるが)やはり、文章はダブルランゲージ化するべきだと思う。それが、現地のスタッフからも本当の意味で、信頼される会社を作ることになると思う。もっと言えば、公用語は英語にした方がいいと思う。その部門に入ったら、勉強しなくてはいけないようにすればいいだけだ。

 

あるいはこういうこともあった。

日本における外資系企業では当然ながら、社内メールの標準語は英語となる。さて、現在世界の金融機関は、すべてグローバル規制を免れない。そこで、英語でメールが、ローカルの会社に送られてきたとしよう。それを、日本語に訳すのは、その会社の務めか、それとも、送った会社の務めか。

 

絶対的な正解はないと思うが、私は、もはや、英語に訳すのは、ローカルの会社の務めになりつつあると思うし、そうしなければ、いつまでたっても、情報弱者の立場にとどまるであると思う。

 

個人企業を経営する私でさえ、最近は情報や教育は英語で拾うように努めている。それが一番効率的だからだ。

まして、ある程度規模のある企業であれば、当然、英語で情報を収集するのが生産的であろうと考える。日本もインドのように英語を公用語の一つにすればいいのだ。

 

またこういうことを読んだ。現地のローカルスタッフからの話だ。

「日本人は金払いがいい。でも尊敬されていない。」と。

それもわかる気がする。先ほどの電話の例でいえば、電話越しのコミュニケーションで、英語に自信がないことが露呈しているような感じだったし、突っ込んだ話し合いを避けるから、真剣に尊敬しあえるような関係も育たない場合も多く、結果尊敬されないのだと思う。

我が国は国際社会においてODAの額がUSD 11.5 billionと世界四位であるが(OECD 2018 April 9)、それに比して、我が国の人間の国際人としてのマインドが追いついていないのが現実であるのだ。グローバルコミュニケーションが下手くそなのだ。

 

レセプションなどでも、結局みんな自国民同士でくっつている。結局、内(日本)と外(外国)の壁を内面で作っているから、企業内に、外国人の血を、本質的なやり方で取り込めなのだと思う。心の中が鎖国だからだ。

 

 

さて、なぜ鎖国を心の中で行うのか。私なりに分析すると以下の3つの要因があると思う。

①英語に対する恐怖 (完璧でないことの恐怖)

②人種的な劣等感と痛み(第二次世界大戦での敗北。それに続くウォーギルトによって自尊心が失われたこと。原爆投下などによる国民的な痛み・悲しみ)

③相手に受け入られないこと、うまくいかないことに対する恐怖。(プライドが損なわれることに対する恐怖。)

こういったことが挙げられると思う。

 

しかしそれらは、克服できる。少なくとも処方箋はある。

処方箋を発表する前に、恐怖というものは、日本人特有の悩みではないことを書いておきたいと思う。

恐怖について、トム・フォードが監督した映画で、コリンファース主演の映画SINGLE MANという映画が秀逸なので紹介したい。

その中で、主人公がハックスレ―について講義を行い、恐怖について語る場面のセリフが素晴らしいので言及する。

 

”Fear after all is our enemy. Fear is taking over our world. Fear is been used as a tool of manipulation in our society. It’s our politicians peddle policy. It’s our Madison Avenue sell things we don’t need. Think about it, the fear of being attacked, the fear of there’re communists loafing around every corner, the fear of a little Caribbean country that doesn’t believe in our way of life poses a threat to us, the fear of the black culture may take over the world, the fear of Elvis Presley’s Hips, actually maybe that one is real fear, fears that our bad breath may ruin our friendships, fear of growing old of being alone, fear that we’re useless that no one cares what we have to say.”

”結局のところ真の敵は恐怖なのだ。 恐怖が私たちの世界を支配しているのだ。 恐怖は私たちを操作する道具なのだ。 恐怖とは政治家が売る政策のことだ。 マディソンアベニューは私たちが必要としないものを売っているのだ。 考えてみて欲しい。世界は恐怖に満ちている。攻撃されることへの恐怖、いたるところに共産主義者が集まっていることへの恐怖、私たちの生活様式を信じていない小さなカリブ諸国への恐怖、黒人文化が世界を支配するかもしれないという恐怖、エルヴィス・プレスリーのヒップの恐怖、それは実際に、本当の恐怖かもしれないが、私たちの口臭が友情を台無しにするかもしれないという恐怖 、ひとりぼっちになるのではないかという恐怖、自分が言うべきことを誰も気にかけてくれないので、自分は役立たずではないのかという恐怖。(意訳)”

ここで私が言いたいことは、ファッション界の帝王トムフォードが映画において恐怖についてこれほど語るくらいなのだから、恐怖というものが人類共通の課題であるということだ。したがって、日本人だけに問題があるわけではないのだ。

 

さて、処方箋だ。恐怖をもし、克服したいと考えるのならば、プライドを捨て、馬鹿になるのが一番良いのではないかと私は思う。プライドから自由になっている例を次に挙げたいと思う。それがいいかどうかは別として、そういうエッセンスを取り込むことは案外、いい結果を生むのではないかということを提示してみたい。

①イタリア人型のコミュニケーション

私はイタリアに住んでいたが、イタリア人はコミュニケーションがうまい。心に残るコミュニケーションをしてくる。英語がうまいとかそういうことは問題にあまりならない。むしろ下手なのがチャーミングだ。ボディーランゲージと愛嬌で勝負するのがイタリア流だ。笑顔を忘れずに、相手の心に残るコミュニケーションをしてみたらどうだろうか?

②素朴な人間型のコミュニケーション

先日、駅の近くの喫茶店に若い外国人の旅行者のグループが訪れてお茶を飲んで楽しんでいた。聞いていると1年位前から東京に住んでいるらしい。だから日本人には慣れているようで、珍しくないようだった。

ところが、当地の人間はそうでなかった。外国人が珍しいからだ。さて、その50代の女性だが、次のように話しかけていた。

女性: どぅゆーらいく じゃぱん どぅゆーらいく じゃぱん?

外国人: Oh Yes ○○○XXXX ○○○XXXX○○○XXXX▲▲△△▲▲△△

女性: ゆーるっくらいく 似ているねー クリントイーストウッド クリント イーストウッド

私: 似ていないと思う(笑)

外国人: ???

私: あらまぁ。

女性: ゆーるっくらいく 似ているねー クリントイーストウッド クリント イーストウッド

外国人: ?苦笑

私: 苦笑

さて、この楽しい光景は私が帰宅することによって、終わってしまった。だが、私は、彼女は偉いと思った。なぜかというと、彼女は自分の思いに忠実に、一生懸命に伝達しようとしたからだ。彼女の勇気から見習うべきではないか?

確かに彼女は教育が必要だろう。だが、コミュニケーションの原点である ”自分の話したいことを、人に伝えようとする”というピュアな姿勢を、示してくれている気がした。

馬鹿になる。恥をかく。汗をかく。涙を流す。大したことないプライドを捨てると、もっと日本も世界も広く栄えて、楽しくなるように思う。

以上


Hiromi Nishiwaki

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