義理と人情に関わる考察 -どうバランスさせるか?

Published by Hiromi Nishiwaki on

今日は義理と人情について書きたいと思う。

 

私は、日本人として生まれて、無意識的に義理人情を履行してきたように思う。

例えば、あまり気に染まない会合に儀礼的に参加するとか、定期的な会社の飲み会とか、付き合いとか
に参加することだ。どれほど、壁の花になって、寂しいことをしたか、数え切れないほどだ。

また、人情という点では、仲間が大変だから、自分も一緒に大変な思いをしなくちゃいけない。
などど考えて、同じように、本当は気に染まない苦労を共にしたり、なんてこともあった。
私は昭和45年の産まれだが、自分は本当は嫌でも、その人だけをほっておいてはいけないから、
自分も同じように苦労を背負ってあげなくてはいけない。というような、義理の概念を教育されて
いたように思う。

 

ところが、大人になって、色々な経験をしたのち、私は上記に違和感を感じるようになった。
そもそも、人生には期限がある。できる限り、楽しく生きたいと思うようになったからだ。
今は、何か気に染まないことをやらなければならないとしたら、”本当にそれをしなくてはいけないのか?”
って自分に問うことにしている。自分に偽って、何かをし続けると、寂しくなることが多かったし、出費
にもなってしまう。だから、無用な義理は行わないことに決めた、

また、人情に関しても、例えば、人の痛みの共有みたいなものに関しては、人それぞれの問題は、基本的に
その人が解決するべきだし、解決しようとする中で、成長してゆくのだから、必要以上に、痛みを共有する必要はないと考えるようになった。今では、むしろ、手出しをしないのが、その人を本当に育てるには愛情だと思っいるほうだ。

人間は、痛みや困難があれば、本来自分から、人に適切にそれを相談し、解決に知恵を貸してくれるように、他社にお願いできるスキルも磨かなくてはいけないのだ。だから人情ゆえに、他人が助けてくれて当然みたいに思っている人は、私は好きではない。

 

はっきり言おう。自分で未来を切き、本当に望んだものを手にしたい私は、真実があいまいになりやすく、依存性を育みやすい義理人情という甘えのようなものが嫌いなのだ。

 

 

でも、長野に来てから、義理人情が世の中のシステムに貢献している点もあるのだなと思った。
今日の本題はここからだ。

 

 

田舎というのは、ありていにいうと、町中が家族のようなものだ。


喫茶店に行けば、”どこどこの誰さんが、誰さんと"とか、”誰の娘はまだ結婚していない”とか
”誰が何の病気だ”とか あるいは”誰が嫌いだ”とか、噂話のパレードだ。
私は、頭痛のようなものを感じることが良くある。


そして、そのような人の話に乗ったら最後、もうサークルに取り込まれて、会ったこともない人の
悪愚痴を聞かされて、いつの間にか、アンチグループに加入されそうになっていたりする。



そんな密接した人間関係の中、義理人情が飛び交う。
おびただしい物品のやりとり、社交儀礼、悪口大会、当番制の役割、飲み会の幹事、団体の維持など
義理人情はあらゆるところに、反映されて愛憎を伴っている。


私的には、どれもミニマムに徹していた。そうするほかなかったのだ。

ところがあるとき、その一種の喜劇ともいえる義理人情の中に、美しいものを見るようになった。


例えば雪かきだ。
当地は、日本でも有数の豪雪地帯だが、義理人情ゆえに、助け合いが機能し、当番が機能し、雪かきなど
の作業がスムースに行われ、町が機能しているのだ。

寒い地域では雪で閉ざされてしまえば、命を失うほどだ。
そうなったときに、義理人情システムがあるから、雪や自然災害などで困ったときにも
助け合うようにできているのだと思った。


また、義理人情は、時にセーフティーネットとしても働く。例えば、高齢者も孤立しないように、
常に見守られており、そういう意味で幸せそうな高齢者が多いのも事実だ。楽しそうに、仲間で集っ
ては、語り合っている様子を見かける。これは都会にはあまりない。ここでは、三日とその人を見かけ
ないと、誰かが、その人の家に行って、安否を確認するらしい。義理人情のシステムがここではポジ
ティブにワークしていると言ってはないだろうか。


また、消防団の機能などもすごい。都会ではそれほど消防団の訓練に情熱的にならないと思うが、
こちらでは、はっぴを着た消防団の技量を、伝統芸として、皆に見せるという催しがある。単に機能
だけワークすればよい、という考えでは、このような芸にはならないだろうと思った。
義理人情がワークしているからこそ、単に仕事というレベルでなく、地域における
催しというレベルに発展したのだと、私は思わざるを得なかったのだ。

また、稲作の農耕作業も同じように義理人情ゆえに、システム的に行われやすくなっていたのだと
感じる。エドウィン・ライスシャワー元駐日大使もいうように、直接義理人情ではないが、それと本質的
には理念が近似しているといってもよい、集団主義は、農耕作業の効率的な履行に、極めて有効だからだ。

 

 

これまでで、私は、義理人情というものが、プラスにワークするケースをあげてきたつもりだ。
最後に義理人情の定義について、記したいと思う。

広辞苑より

 

ぎ‐り義理】 ①物事の正しい筋道。道理。沙石集3「無尽の―を含めり」。「今さら文句の言えた―ではない」 ②わけ。意味。愚管抄2「真名の文字をば読めども、又その―をさとり知れる人はなし」 ③(儒教で説く)人のふみ行うべき正しい道。 ④特に江戸時代以後、人が他に対し、交際上のいろいろな関係から、いやでも務めなければならない行為やものごと。体面。面目。情誼。「―人情」「―を欠く」「―が悪い」「―で出席する」 ⑤血族でないものが血族と同じ関係を結ぶこと。「―の母」

にん‐じょう人情‥ジヤウ ①自然に備わる人間の愛情。いつくしみ。なさけ。幸田露伴、五重塔「―の花も失なくさず義理の幹も確然しっかり立てゝ」。「―のあつい人」 ②人心の自然の動き。「―の機微」

 

義理人情と合理主義、これらをどうバランスさせていくか。
絶対的な答えはないように思う。

どんなことにも、プラスとマイナスがある。

自然界に学ぶということしか、私には思い浮かばない。

以上

 

 

 

 

 

 


Hiromi Nishiwaki

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