日本人は貧しい、しかし高貴である。 世界でどうしても生き延びて欲しい民族をただ一つあげるとしたら、それは日本人である。 ポール・クローデル 私が日本人の良き資質について考えるとき、ポール・クローデルのこの言葉をいつも思い浮かべる。 ポール・クローデルは、外交官であり偉大なる作家であった。親日家として有名であり、長気に渡る外交職務の後、1921年駐日フランス大使となった。上記の言葉は、太平洋戦争のさ中、日本の敗戦が濃厚だった頃、フランス・パリの晩餐会でクローデルが語った言葉と聞く。 上記の言葉には、フランス人外交官らしいリップサービスを含んでいるのであろう。しかし、クローデルは親日家であった。クローデルは、当初中国に外交官として派遣されたが、日本への派遣をずっと望んでおり、中国ではそれほど馴染めなかったようだ。 クローデルの親日家である所以は、姉のカミーユの影響が大きいと聞く。姉のカミーユ・クローデルは、有名な芸術家であり、同じ女性としては彼女の、繊細で多彩があるがゆえの苦悩に、悲しみと尊敬を禁じえないものがあるのだが、いずれにしても、カミーユ・クローデルこそが、パリ万国博覧会などによるジャポニスムの影響によるものであろうが、繊細な日本文化のことを、ポールに教えたようだ。したがって、幼少から、クローデルは多大な親日家であった。 クローデルはフランス人らしくロマンチックな人であった。若き日、中国福州での勤務により、ホームシックになったのか、あるいは、環境の違から来るストレスであろうが、精神的にまいってしまい、一度フランスで療養することになる。 そしてそこで、運命の女性と出会い、大恋愛をすることになる。そしてこれが彼が大作家となるきっかけとなる。彼は、彼女との出会いにより彼の人生の意義を再発見する。それは、「薔薇」、「水」、「恋」であったようだ。 余談になるが、クローデルの運命の女性は、既婚者ではあったが、彼を追って、福州に住み、恋愛関係となり子供を出産する。さすがフランス人、としか言いようがない。それでクローデルの才能が更に開花し、この世に愛の結晶を授かったのであるのだから、なんともロマンチックであると私は思う。 さてここまでが前置きだ。 今日私が書きたいのは、日本人の高貴さについてである。 今日その高貴さについてまさに感じることがあったので書くことにする。 東京と長野は本質的に極めて異なる世界である。 長野というのは歴史的にも稲作が盛んな地域であることもあり、グループや集団意識、地域というものの結束がとても高い地域である。よって、自分のことより、他人とどう共存するか、を大切にする地域である。よって必然的に他者に関心を持ち、他者を知りたがり、他者に優しくし、他者に与え…という典型的な、他者尊重型日本文化が発展している地域であると私には感じられる。 私もかつてはそのような人間であった。 他者を思いやる 他者に尽くす 他者に優しい しかしこのようなパラダイムは資本主義の競争においては、食われる原因にもなる。 なぜが。資本主義社会には獲物を狙う猛者が沢山おり、思いやりや優しさが蹂躙されることがしばしばであるからだ。資本主義というのは武器を経済に置き換えた戦いでもあるからだ。 私はこの事実を学び、人間は精神的にも物質的にも武装しなければならないことを学んだ。 人間は、優しさと同様に、強さを身につけなければならない。技術を身につけなければならない。生きるとは全てであり、優しさだけを意味しない。そもそも自然界がそういう場所だ。 思いやりや優しさは適切に表現されなければならないのだ。それを、的確に受け止められる人に施さなければならないのだと私は思っている。 したがって私は常に優しさを押し殺してきた。 優しいとは危険であることであるからだ。 しかし、当地長野は、縄文文化の影響でもあるのだろう。 絶望的に、他者に優しくあろうとするのだ。 優しいとはすなわち、人に施す、人に笑顔する、人に譲る、などのことを言う。 道路を歩行者として歩いていれば、100%車は道を譲ってくれる。クラクションで歩行者を脅すようなことは絶対にしない。 Read more…